スロバキア
  • 難民支援

現金給付支援を届けた皆さまにインタビューを行いました!

現金給付支援を届けた皆さまにインタビューを行いました!

IVYが提携団体であるSME SPOLUと共に2023年1月から開始した、スロバキアへ逃れてきたウクライナ避難民への定住支援。避難してきた人々が他の難民や地域住民とつながりを持って新しい地域社会で暮らしていくことを目指して、スロバキア語・英語の語学クラス、チェス・アート・演劇・高齢者のレクリエーション活動の提供などを実施してきましたが、このプロジェクトが来月で終わりを迎えます。

このプロジェクトの支援活動の一つとして脆弱な200世帯への現金給付を行ってきました。

現金給付を受けた受益者の方々は、戦闘・ダムの崩壊などにより自分たちの家を失い、首都キーウやハルキウ州、ヘルソン州からスロバキアに避難してきました。スロバキアで一時保護申請をして暮らしていますが、リタイアして仕事ができない人、障害を持つ人が家族にいる人など、特にサポートが必要とされています。

月々の補助だけでは生活が苦しく、日常的に薬を服用している人は、買えないので治療をあきらめるという負担を強いられている状況です。

1月上旬に、現金給付を受けた方々に集まっていただきインタビューをしたので、その内容をご紹介します!

3番目のラリサさんは、脚に障害があって当日来られなかったお母さんの代わりに、「感謝の気持ちを伝えたい」と言って会場まで足を運んでくれました。

ルボブさん

(左:ルボブさん、右:IVYウクライナ現地事業統括の金澤)

ヘルソン州の方から逃れてきました。本当は家を去りたくありませんでしたが、夫が「ここは危険だから避難しよう」と言い、逃げてきました。家々は破壊され、ダムの崩壊でも影響を受けました。スロバキアで今、安全に生活できるのは奇跡みたいだし感謝しています。ただ、私達は戦争があって他に選択肢がなかった。来たくてここにいるわけじゃない。戦争が終わったら、国へ戻りたいですが、これまでのご恩は忘れません。

現金給付に関して、私は心疾患の他に、いろいろな病気を抱えているので、やはり内服薬は欠かせません。ただ、日々の生活費の中から捻出するのはとても難しいので、現金給付のおかげで、数カ月分のお薬を賄う事ができました。本当にありがとうございました。

セルヒーさん

(左:セルヒーさん、右:金澤)

私は25歳のときにチェルノブイリ原発事故の被害にあいました。その時キーウにいた人々が(ロシアから近いので)原発の放射能汚染の被害を受け、それから障害者認定を受けて定期的に検査をしたりフォローアップを受けています。

戦争が始まったとき、私はブチャに居ました(キーウで虐殺があった場所)。被害を受けた地域から3キロ離れていて安全でしたが、その後にスロバキアに避難してきました。ウクライナのかかりつけの先生は、私の健康状態を把握していたので、とても安心して通っていました。でも、スロバキアでは全く病院に相手にされず、ウクライナで治療を受けるように言われただけでした。
健康問題以外は特に不満はありません。ただ、定期的に飲み続けなければならない薬もあるので、現金給付で、その薬を買うことができた事にとても感謝しています。

ラリサさん

(左:ラリサさん、右:金澤)

現在、ドミトリーで母親と2人で生活しています。ウクライナ中部から逃げていましたが、戦争の被害というよりは、毎日けたたましく鳴るサイレンが恐ろしく、特に体が不自由な母がストレスを抱えてしまいスロバキアに逃げることになりました。本当はドイツへ逃げようと考えていました。でも、スロバキアへ来てみるとたくさんのウクライナ人を見かけたので、スロバキアに留まることにしました。


体が不自由な母親は、薬なしでは生活できません。歩くこともできません。今回、遠く日本から現金給付のサポートを受けられると聞き、とても嬉しかったです。母は今回来ることはできませんでしたが、この感謝を母親共々伝えたいと思い、今日は足を運ばせていただきました。

アラさん

(左:アラさん、右:金澤)

私は夫と一緒に、一番爆撃の被害を受けたハルキウ州から逃れてきました。スロバキアに来て安全を確保でき、元気に暮らせている事はとても嬉しいです。私達を受け入れてくれたアパートのオーナー含め心から感謝しています。


今回の現金給付は、薬の購入に充てさせてもらいました。私はいろいろな健康問題を抱えていて沢山の薬を服用しなければならないので、その費用がとても深刻な問題でした。現金給付のおかげで治療を継続することができて、とてもありがたかったです。

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