独立後の貧困状態に適切な医療と教育を
1999年8月に独立を宣言した後に内戦となり、東ティモールは焦土と化しました。500人いた医師も27人まで減ってしまい、医療機関は大混乱となっていました。
IVYは、東ティモールの人たちの窮状を見過ごさないとの思いから医療支援を開始しました。
難民支援
内戦により弱体化した医療への支援、貧困から脱却するための識字教育を通して、独立後の人々が少しでも暮らしやすくなることを目指しました。
支援の背景
東ティモールは、1975年にインドネシアに併合された後、インドネシアによる人権抑圧が様々な議論を呼び、国連にも東ティモールの利益を代弁する代表部が設置されるなど、世界の関心は高まっていました。1999年に国民投票が行われ、東ティモール人は独立を選択しましたが、その直後、民兵とインドネシア軍により国土のほとんどが戦禍に見舞われ、8割の民家が破壊、2万人以上が殺害されました。
医療支援(2000年4月〜2002年3月)
医師一人が日に300人もの患者を診察しなくてはならない状況にある首都ディリにあるバイロピテ診療所に対し、医療従事者を派遣し、絶対的な医師不足の緩和と現地の医療状況の改善、医学生への臨床実習を行うとともに、不足する医薬品の提供を行いました。
成人識字教育(2002年4月〜2003年3月)
東ティモールは、識字率が47%であり、アジアの他の国に比べても低く、また世界最貧国20ヵ国の一つでした。識字は自立への基礎をなすものであり、社会全体の底上げに貢献するため、特に識字率の低い周辺部において識字教育を実施しました。