6月20日「世界難民の日」

世界難民の日

 

6月20日「世界難民の日」。少しでも関心を持ってもらいたい、その想いで、ミャンマーからバングラデシュに避難してきたある難民の忘れられない過去、現在、そして未来への思いを聞いてきた。

 

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クトゥパロン難民キャンプ・キャンプ19で避難生活をしているシャハブミアさん(40・写真右)にお話を聞きたい旨を話すと、快く、家族6人で暮らす簡易シェルターに迎え入れてくれた。

 

シャハブさん一家はシノンプラン村(大きな衝突のあったブティダウンから南に約10キロ)から、IVYが活動しているキャンプ19に逃げてきた。

 

元々農家だったシャハブさんは雨季になると置いてきた土地や川のことを思い出すと言う。水の確保が難しい土地で、一年に一回この時期にしか作物を植えることはできなかったが、兄家族と合わせて4.5ヘクタールの土地を持っていたおかげで、貧しいと感じることはなかった。

 

生活が一変したのは2017年の8月25日。
その日、家から徒歩数分の距離にある隣の集落グドンパラに礼拝に出かけていたシャハブさんは、目の前で20〜30人のイスラム教徒の村人がミャンマー軍によって撃ち殺されるのを目撃した。その全員が彼の知人や友人たちだった。中には殺されることを免れたものの、爪を割られている者や、敬虔なイスラム教徒の証しである髭を切られている者を見かけ、強い恐怖を感じた。

 

兄に一緒にこの村を逃げようと提案したが、兄の家族の中に寝たきりの人が2人いて、一緒に行くことはできないと言われた。しかし、シャハブさんは家族の身を守るために、翌朝に村から避難することに決めた。

 

朝3時に家を出て、時折茂みに身を隠したりしながら、夜8時まで歩き続け、バングラデシュとの国境となっているナフ川にたどり着いた。その時にはすでに埋め尽くすほどの人々が集まって、ごった返していた。国境警備隊が見張っていた。その後6日間、ひたすら船の順番を待ち続けた。NGOが食料や水を配布してくれたおかげで、飢えずにすんだが、待っている間は緊張状態が続いていて、生きている心地がしなかった。

 

6日後、船頭に一人あたり5万チャット(約4,000円)を支払って船に乗り込んだ。川を渡り、バングラデシュ側の軍のチェックポイントで食料、水、衣類を受け取り、クトゥパロン難民キャンプに移送された。

 

家庭菜園

家族のために庭で野菜を育てているシャハブさん

 

「ここでの暮らしは食べ物や安全が保障されていて、ありがたい。水も前は鉄の味がする井戸水しかなく、順番待ちの時間が長かったが、IVYの設置してくれた井戸のおかげで美味しい水を飲むことができるようになった。」

 

そう言いつつも生活の不満も募っているようで、10歳、8歳、6歳の子どもの父親であるシャハブさんは真っ先に「子どもたちにもう少し良い教育の機会を与えてほしい。そして、労働の機会が限られているので、もっと仕事の機会を作ってほしい」と語った。

 

最後に語ったのは、やはりミャンマーでのことだった。「失ってしまった土地や家が戻り、そして安全が保障されるのであれば、すぐにでもミャンマーに帰りたい。そして、ミャンマーでは私たちはベンガリと呼ばれているが、ロヒンギャという名前も認めてほしい」

 

IVYバングラデシュではこれからも大変な苦労をしてきた難民に寄り添い、ニーズに応えるような支援をしていきたい。

 

※本事業は、ジャパン・プラットフォームによる資金や皆様のご寄付により実施しています。